推理小説が好きな人は、きっと『カササギ殺人事件』の名前を聞いたことがあるはずです。日本で2018年に刊行されると、「本屋大賞翻訳小説部門」「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」など各種ランキングで1位を独占した話題作です。
その後、毎年秋にはアンソニー・ホロヴィッツの新作が刊行されるようになり、年末の各種ミステリランキングでは4年連続4冠を達成しています。2023年にも新作『ナイフをひねれば』が出版されています。一連の作品はすでに累計100万部を超え、名実ともに翻訳ミステリー界を代表する作家になりました。
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アンソニー・ホロヴィッツは、人気作家でもありますが、同時に人気テレビドラマ脚本家でもあります。彼が筆頭脚本家を務めたドラマ『刑事フォイル』は、全8シーズンが放送されるほどの人気を得ました。他にも、ドラマ『名探偵ポワロ』や『バーナビー警部』などのエピソードの脚本も手掛けています。
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そうとなれば、ベストセラー『カササギ殺人事件』を著者自身がドラマ化しないわけにはいきません。多くの読者が予期するとともに、実現することを願っていた作品は、ついにお披露目されました。推理小説のファンであり、英国ドラマのファンでもある私にとっては、まさに願ったり叶ったりだったのですが、今回はドラマ版を観た上での感想を書いていきます。
広範なホロヴィッツ作品
私が初めてアンソニー・ホロヴィッツ作品に触れたのは、NHKで放送されていた『刑事フォイル』を観たときでした。戦時下を舞台にした刑事ドラマで、地味ではありましたが、ミステリーとしても人間ドラマとしても見どころがあって面白かったなと記憶しています。
それから、ホロヴィッツに再会したのは、『カササギ殺人事件』が話題になったときでした。私は、推理小説をよく読んでいて、一番好きな作家はアガサ・クリスティーなのですが、『カササギ殺人事件』はどうやらアガサ・クリスティー系統の作品だそうです。しかも、あの『刑事フォイル』の脚本家です! それに加えて、これほど評価が高いわけですから、これは読まないという選択肢はありませんでした。
実際に読んでみると、この時代に海外でこれほどオーソドックスな本格ミステリーがあることに驚きましたし、純粋なミステリー小説ゆえの面白さが詰まっていた作品で、とても楽しかったです。それ以降、毎年秋になると、ホロヴィッツの新作を買いに書店に行くようになりました。
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その間に、海外ドラマにも随分とハマり、ホロヴィッツが手掛けた『ニュー・ブラッド 新米捜査官の事件ファイル』も見ました。1シーズンで打ち切られてしまったドラマですが、なかなか刑事バディものの面白いところはちゃんと押さえていて、良い作品でした。
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ホロヴィッツ作品の傾向
こうやって、自分がこれまでに触れてきたホロヴィッツ作品を振り返ってみると、ホロヴィッツという人はエンターテインメントとしてのストーリーテリングがとても上手いなと感じます。
彼の最近のミステリー小説はすべて読みましたが、トリックだけを取り出すと、そこまで卓越しているものは、実はそれほどありません。言ってみれば、いわゆる密室トリックや時刻表トリックなどに代表される「トリック」には、さほど重きを置いていません。
その点は、日本の新本格系の推理作家とは異なります。傾向としては、本人も自覚しているように、アガサ・クリスティーの作品にとても近いです。クリスティーは、『オリエント急行殺人事件』や『アクロイド殺し』のような伝説的な大トリックで有名になったようなところがありますが、それ以外の作品では、むしろ小粒なトリックが使われていることの方が多いです。他の推理作家と比べると、人物や人間関係の描写は圧倒的です。
ホロヴィッツの作品でも、キャラクターや人間関係に非常に重きが置かれています。『刑事フォイル』の主人公は正義感が強く、『ニュー・ブラッド』の主人公2人は衝突し合いながらも協力し合い、<ホーソーン&ホロヴィッツ>シリーズの主人公は愚痴を言い合いながらも一緒にやっています。一般に、テレビドラマでは、映画や小説以上にキャラクターに重点を置かれる傾向が強く、きっとホロヴィッツもその流儀を倣ったのでしょう。
ストーリーの進め方もテレビドラマ的です。小説作品においても、最後にすべての真相を明かしてどんでん返しをするのではなく、小刻みにサプライズを用意することで、テンポの良い展開になっています。毎エピソードで視聴者を引き付けなければ即打ち切りになりかねないテレビドラマの世界に慣れているからこそのプロットでしょう。
でも、ホロヴィッツは、他の海外の作家や脚本家とも異なる作風があります。というのも、ホロヴィッツ作品では、現代の社会問題がテーマになることはほとんどなく、ダークな展開もそれほどありません。日本の作品に慣れ親しんでいるとそこまで不思議には感じられないのですが、海外作品にしては異色です。
ある種、現実からは一歩離れた世界観を持つ本格ミステリーがここまで人気があるのは日本くらいのもので、海外では社会派的な要素があるか、とても重く暗い作風か、あるいはその両方の特徴を持つのミステリーの方がよく売れています。よっぽど『ドラゴンタトゥーの女』の影響が大きかったんですかね。
ミステリードラマに関しても状況は似ていて、イギリスでは2013年に放送された『ブロードチャーチ 殺意の町』が大ヒットしたことを受け、同様の傾向を持つ、人間の闇を描いたミステリードラマが相次いで作られるようになりました。日本の「イヤミス」にも近いです。中でも『ハッピー・バレー 復讐の町』は、高評価を受けた作品の一つです。
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こういう時代でも、ホロヴィッツは、あくまでもエンターテインメントとしてのミステリーを作ってきました。『刑事フォイル』にしても、社会派的な要素がないとは言いませんが、それ以上に上質な人間ドラマになっています。アガサ・クリスティー的なミステリーを指向した小説の近作は言わずもがな。だから、日本でも人気が出たのでしょう。
ドラマ『カササギ殺人事件』は、そんなアンソニー・ホロヴィッツが、自分の小説を自分でドラマ化しているので、これまで以上に純粋な「エンターテインメントとしてのミステリー」になっており、ミステリーの面白さというものを改めて認識させてくれる作品です。
予告編
ドラマ化にあたっての脚色
ドラマ版の『カササギ殺人事件』の内容は、基本的には原作から変わっていません。ただし、構成は大きく変わっています。原作では、前半(翻訳版では上巻)がまるまるアラン・コンウェイの『カササギ殺人事件』が作中作として入っています。後半(翻訳版では下巻)になると、現代パートの主人公である編集者のスーザン・ラインランドが動き始めます。
一方、ドラマでは、作中作と現代パートが交互に進んでいきます。これは、とても良い脚色だと思いました。原作よりも遥かにテンポが良くなっています。小説では、前半だけ破って取り出してしまえば、それがそのままアラン・コンウェイの『カササギ殺人事件』になるという粋な仕掛けになっていました。でも、ドラマでは分離させる意味はありません。
特に、本作では作中作『カササギ殺人事件』の登場人物と現実の登場人物が対応するように書かれています。例えば、探偵アティカス・ピュントの助手のジェイムズ・フレイザーのモデルは、作家アラン・コンウェイの愛人のジェイムズ・テイラーです。小説では、読みながらこの対応関係を覚えなければいけないので大変ですが、ドラマでは同じ俳優が1人2役で両方の役を演じていることで、かなりわかりやすくなっています。
また、作中作のアティカス・ピュントの行動と現実のスーザン・ラインランドの行動がリンクする演出も面白かったです。作中作で葬儀のシーンが描かれたら、現実でも葬儀のシーンが描かれるといった具合です。それも1つや2つのシーンだけではなく、かなり多くの場面でストーリーがシンクロするようになっています。
複数の時間軸で同時にストーリーが展開するドラマはいくつかありますが、このようにシンクロして、片方のストーリーがもう片方のストーリーに直接影響を与えるという構成は他にはないでしょう。
ドラマ版の感想
アンソニー・ホロヴィッツが自身の小説をドラマ化するということで、否応なく期待値は高かったのですが、それを超えてくる面白い作品でした。原作のストーリーに忠実でありながら、プロットを大きく変えることで、小説にはなかったドラマならではの新たな魅力も生み出しています。
小説とテレビドラマの両方の世界で活躍してきたホロヴィッツだからこそ作ることのできた作品であり、集大成のような作品です。新たな英国ミステリードラマの傑作がここに誕生しました。