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『一流シェフのファミリーレストラン』(原題 The Bear)シーズン2のクレアに関する考察

 先日から配信された『一流シェフのファミリーレストラン』(原題 The Bear)シーズン2の感想はすでに書いた(→こちら)のですが、もう少し語るべきことがあったかもしれません。それは、クレアに関してです。

 

 シーズン2で初登場したクレアは、視聴者の間で賛否が分かれるキャラクターになっています。記事を書いた後に色んな人の感想を読んでいてそのことを知りました。このドラマにおけるクレアの存在は確かに独特ですから、考察してみることにしました。

 

 

クレア・ベアー

 クレアは、『The Bear』シーズン2第1話で初登場しました。クレアとカーミーは幼馴染だったので、スーパーで久しぶりに再会した2人は冷蔵庫のガラスの扉に頭をもたせかけて話し始めます。すると、クレアはカーミーのあだ名を覚えていると言い、カーミーを驚かせます。そこから、自然と2人は付き合い始めます。

 

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 クレアは、カーミーの店で便利屋として働いているファクの家族とは今でも親しく、ファク経由で連絡を取り合うこともあります。リッチーやシュガーもクレアのことを知っており、特にリッチーはクレアのことを「クレア・ベアー」と呼んでいます。カーミーの兄のマイケルとリッチーは、5年前にもカーミーにクレアと会うように勧めていましたが、このときは2人は会うことはありませんでした。現在、クレアはERの研修医として働いています。

 

 クレアを演じるモリー・ゴードンは、映画『ブックスマート』などに出演していました。カーミーを演じるジェレミー・アレン・ホワイトと同じく青い目をしています。そして、前回も言いましたが、私には10年後のジェナ・オルテガに見えます。

 

映画『ブックスマート』のモリー・ゴードン

 

クレア論争

 英語や日本語の『The Bear』シーズン2のレビューを色々と読んでいると、クレアに関して様々な意見が書かれています。「クレア大好き」や「クレアとカーミーの関係性がとても良い」という意見もあれば、「イライラさせられる」「ちょっと気味が悪い」といった意見もあります。

 

 クレア否定派の意見はこんな感じです。クレアが登場するシーンを観ていると、ちょっとした落ち着かなさを感じた人もいるかもしれません。ASMRを聞いているときのような居心地の悪さです。その理由は単純で、クレアのシーンのときだけクレアとカーミーの顔がどアップになるからです。クレアの初登場シーンからしてそうですし、最初から妙に距離感が近いです。

 

 クレアの話し方も独特です。このドラマの登場人物たちは、基本的に大声でせわしなく話しますが、クレアはその反対で、ささやくようにゆっくり喋ります。クレアの存在は、ドラマの他のキャラクターとは明らかに異質で、そのように演出もされています。クレアがドラマの雰囲気に合っていないのは、とても意図的なものであるわけです。

 

 最大の批判は、このドラマに恋愛要素は期待していないのに、クレアのせいでカーミーが恋愛をする羽目になってしまったというものです。シーズン1には恋愛要素は全くなく、そのこともあってソリッドな職場ドラマの傑作になっていたとも言えます。だからこそ、主人公が恋愛をするところは必要なかったというわけです。

 

 この意見は、特に日本で多いように感じます。日本の場合、恋愛要素がない職場ドラマというのはほとんどないので、『The Bear』を気に入った人の中には、邦画の安易な恋愛展開にうんざりしている人も少なくなかったのかもしれません。

 

クレアの存在意義

 そういった意見はよくわかります。ただ、私の考えとしては、製作陣があえてクレアを異質な存在として描いている以上、そこには何かしらの理由があるはずです。ゆえに、決して安易な恋愛展開ではありません。目的があってクレアを登場させています。

 

 その「何かしらの理由」は、シーズン2の最終話を観ればわかります。冷蔵庫に閉じこめられたカーミーは、自分がクレアと付き合うべきではなかったんだと猛省します。それは、クレアに構っていたせいで冷蔵庫の扉を直し忘れたことに象徴されるように、恋愛などしていたら料理に集中できなくなってしまうからです。

 

 カーミーにとって、料理はただの仕事ではなく生きる意味なので、どんな理由であれ、料理のパフォーマンスが落ちることは許されません。だから、料理ができない自分なんて存在する価値がないと思っていますし、世俗の幸せに捉われて料理をすることができなくなった自分が許せないでいます。

 

 製作陣は、カーミーのそういった面を描くために、「世俗の幸せ」の代表として恋愛を持ち出したのではないかと思います。

 

 そう考えると、クレアとカーミーの関係があまりにも急に進展し、いつの間にか相思相愛になっている理由もわかります。要は、製作陣もやっぱりカーミーの恋愛なんてどうでも良いと思っているのです。クレアがずっと前からカーミーのことが好きだったという設定にすることで、2人が親しい関係を築いていくまでの手間を省いています。カーミーがクレアに沼っている状態ができあがれば良いだけなので。

 

 クレアは、カーミーの家族やシェフたちとは異なる「世俗の幸せ」の代表なので、他の登場人物とは違うトーンを与えなければいけません。だから、ゆっくりとささやくように話します(彼女だってERで働く人間なので、本気になれば大声で早口になれるんだと思いますけど)。

 

 私は、クレアが改装中のTHE BEARを訪れるシーンが好きです。クレアがここで目にするのは、互いに怒鳴り合っているカーミーと仲間たちの姿です。ここでは、本当にクレアの異質さが際立っていますし、逆にカーミーの職場がどれだけ世間の常識からすれば過激であるかがわかります。

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 ただ、いくら私がクレア肯定派だとは言っても、さすがに人物描写が雑すぎたのではないかとは思います。第9話の冒頭で、カーミーがクレアとの過去の思い出を振り返っていますが、そんなものを見せられても視聴者は何も感じません。私たちは、クレアがカーミーにメロメロな側面しか見せられていないので、薄っぺらいのは事実です。

 

 その一方で、クレアの描写を細かくするためにERで働いている様子などを見せられても、本筋に関係なさすぎて萎えます。結局、クレアの人物描写は薄っぺらにするしかなかったのかもしれません。

 

 そうしないためには、別の「世俗の幸せ」を考える必要がありますが、それは言うほど簡単ではなかったりします。お金や名声は、料理に真摯に向き合うことでも手に入ります。修行僧とは違って、料理の天才は社会的にも成功できるのです。仕事に精を出していたら手に入らないものといえば、やっぱりわかりやすいのは恋愛なのかなという気もします。

 

 たぶんドラマの脚本を書いている人たちだってこのくらいのことは考えています。脚本家が意図していることだからといって、必ずしもクレアのことを好きになる必要はありませんが、それなりにちゃんと考えられた上での存在なのだろうなと私は思っています。

 

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