The truth is always out there, even if it’s buried at the end of the world.
真実はいつもそこにある。たとえ世界の果てに埋まっているとしても。
- Darby Hart, A Murder at the end of the World
アメリカのドラマでちゃんとした謎解きミステリーは多くないのですが、Disney+で配信中の『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』はまさに王道のミステリー。それも、日本で言うところの「新本格ミステリー」の風味が満点の作品です。こんなミステリードラマをずっと待ち望んでいました!
<PR>海外ドラマ『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』は、Disney+(ディズニープラス)で配信中。
基本データ
- 原題:A Murder at the End of the World
- 配信:FX on Hulu(アメリカ)、Disney+(日本)
- 公開日:2023年11月14日~12月19日
- 話数:7[リミテッドシリーズ]
- 脚本:ブリット・マーリング、ザル・バトマングリ(ドラマ『The OA』)
- 出演:エマ・コリン、ブリット・マーリング、ハリス・ディキンソン
- 概要:アマチュア探偵のダービー・ハートは、資産家のアンディ・ロンソンからアイスランドの豪華ホテルに招待された。そこには、建築家や宇宙飛行士など各界の有識者が他にも8人集まっており、会合が行われる予定だった。しかし、初日の夜、招待客の一人が死亡する。
予告編
名探偵ダービー・ハート
ドラマ『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』の主人公となるのは、エマ・コリン演じるダービー・ハート。エマ・コリンといえば、Netflixのドラマ『ザ・クラウン』シーズン4でダイアナ妃役を演じたことで絶賛され、一躍注目を集めました。
また、2021年にはノンバイナリー(男女いずれにも属さない)であることを公表し、クィアアイコンとしても注目されています。ジェンダーレスで大胆なファッションスタイルはしばしば話題になり、GQ誌が選ぶ「スタイリッシュパーソン・オブ・ザ・イヤー2023」にもなっています。
記事:エマ・コリンはあらゆる境界を打破する現代のスタイルアイコンだ!──GQファッションアワード2023 スタイリッシュパーソン・オブ・ザ・イヤー | GQ JAPAN
ダービー・ハートもエマ・コリン本人に劣らずスタイリッシュなキャラクターです。あのピンクのショートヘアで、一気にダービーの虜になってしまいます。エマ・コリン=ダービー・ハートでなければ着こなせないようなファッションスタイルは、目にも楽しい。
高校生のときのダービーは、現代と比べると遥かに無造作なファッションです。それはそれでなかなかどうして可愛らしく見えるときもあるのですが、それはまた別の話。ともかく、当時の彼氏のビルとの相性は抜群です。
見た目に気を取られてばかりではいられません。聞くところによると、ダービー・ハートという人は「Z世代のシャーロック・ホームズ」と言われているとか。これは、なかなか大きく出たものです。ぜひとも、その推理力を見せてもらおうではありませんか。
以下、ドラマのネタバレを含みます!
シルバー・ドウ事件
ダービーの父親は検屍官でした。その影響で、ダービーは小さい頃から殺人事件の現場に同行することがあり、数多くの他殺体を見てきました。その間に培ってきた観察眼と殺人事件に関する知識で、高校生になってからは素人探偵として活動し始めます。
さながら『ヴェロニカ・マーズ』です。ヴェロニカ・マーズは、高校での人間関係に気を取られがちな傾向がありました。学園ドラマ的にはそれで良いのですが、個人的にはもっと事件に集中してほしいなと思わなかったわけでもありません。
ダービー・ハートは、高校の人間関係にも勉強にも全く邪魔されません。殺人事件の捜査に夢中です。このとき捜査していたのは、身元不明の女性(ジェーン・ドウ)が被害者になっている連続殺人事件。どの遺体も銀のアクセサリーを付けていたことから「シルバー・ドウ事件」と呼ばれています。
捜査状況は、遂次Reddit(レディット、アメリカでメジャーなネット掲示板)にアップしており、人手が必要な調査のときは協力を呼び掛けることもあります。そういえば『イエロージャケッツ』でも、Redditを拠点にして市民探偵をしているキャラクターがいました。あっちはかなり胡散臭い感じでしたが、こっちはガチでやっています。
そのときに出会ったのがビル・ファラ。ネット上で出会ったから胡散臭いだろうとか決めつけてはいけません。彼はなかなか粋で顔も良い奴です。初対面の相手を真夜中の線路に呼び出してモールス信号を送るなんて、ロマンチストかシリアルキラーでなければできないことです。
ダービーもダービーで、コーラとコーヒーを混ぜるという、キマッている人でなければ思いつかないような飲み物を飲んでいるわけですから、お互い様かもしれません。もっとも、ダービーは本当にクスリでキマッているわけですが。
本物のFBI捜査官ばりに、2人は事件関係者のもとを訪れていき、ついに最初の被害者を突きとめます。彼女の夫が真犯人であることもほぼ確実となりました。そこで、ダービーは犯人の家に侵入して死体を探そうと提案しますが、ビルの腰は上がりません。さすがにそれは危険だと言います。自分もそう思います。
事件に対する想いの違いが、ここにきて明確になってしまいました。ビルは、事件を解決したいとは思っていますが、あまりにも危険なところまでは踏み込まず、証拠を警察に渡すつもりでいました。一方で、ダービーは数多の女性たちを殺してきた連続殺人犯をその手で捕まえる気でいます。
ダービーは、被害者たちの無念を晴らすためにそこまでやるのだと言っていますが、実際にはそうではないように思います。ダービー自身が事件に執着してしまっているために、警察に任せようという気になれないのです。
結局、ビルが折れて犯人の家に忍び込みますが、そのときに犯人は自殺して2人はその返り血を浴びます。ダービーは、それでもまだ事件が解決して良かったと考え、犯人の心理を分析しようとしています。でも、ビルは今さっき目の前で起こった出来事のショックが大きく、どこまでも冷静なダービーのことが信じられなくなっています。
ダービーのことが全く理解できなくなったビルは、宿から逃げ出します。あれほど相性がピッタリのカップルに見えたのに、ダービーが生まれながらの名探偵であるせいで、関係は決裂してしまいました。
これでこそ名探偵のオリジンストーリーです。ダービーの初めての事件であり、美しくも切ないラブストーリーでもあります。
アイスランド
ある日、ダービーは世界的な資産家のアンディ・ロンソンからアイスランドで行われる会議に招待されます。場所は、アイスランドの豪華ホテル。人っ子一人いない氷原にホテルを建設するなど、よっぽど奇矯な金持ちしかやらなさそうです。イーロン・マスクならいかにもやりそうです。
ホテルに集められたのは、ダービーの他に宇宙飛行士や建築家、映画監督など、各界の知識人ばかり。推理小説ではお馴染みの展開になってきました。色んな天才が人里離れた奇妙な建物に招待されるとは、さながら周木律の『眼球堂の殺人』のようではありませんか。
その夜、第1の殺人が起こってしまいます。被害者は、ダービーの元彼のビルでした。しかも、ビルはダービーの目の前で死んでいきます。残酷! ダービー、強く生きろ!
ビルは薬物の過剰摂取で死亡したことが明らかになります。しかし、ビルはもう何年も薬物を絶っていたはずでした。加えて、利き腕の右腕に注射されていたり、注射器に指紋がないなど、他殺を疑われる証拠が次々と見つかります。ビルは殺されたのです。
ダービーは、ビルの部屋の監視カメラをハッキングすることで、事件当夜の映像を入手します。そこに映っていたのは、不気味な白い仮面を被った人物でした。ビックリしてしまいます。まったく心臓に悪い。
死の直前にビルの元に電話が掛かってきたことも判明します。ダービーは、電話をした張本人に内容を確かめるために電話をしますが、その瞬間に相手は心不全で死亡してしまいます。ピースメイカーをハッキングされたのでした。
これによって犯人はハッキングの技術を持った人物であることが明らかになりました。ダービーは、宇宙飛行士のシアンがハッカーではないことを確認した後、2人で謎の仮面の人物が通信していた相手を探るために冒険をします。宇宙服みたいな防寒着もクールです。
嵐がやって来たので、2人は車で逃げることになります。車は、コンピューターが搭載された最新式のものですが、シアンはその車をハックすることでエンジンを掛けます。先ほどまで、シアンはハッキングができないと思われていたので容疑者から外れていたのですが、この瞬間に再び容疑者の可能性が出てきたことになります。そのことに気づいたダービーは、恐る恐るシアンの顔を見つめます。
しかし、ホテルに戻ると、今度はシアンのスーツがハッキングされたせいで、窒息死寸前の状態になります。ハッキングによる殺人は正直地味で、さほど面白くはないのですが、ハラハラはしました。
結局、この後にシアンは不慮の事故によって死亡します。残念。容疑者陣の中では、比較的キャラが立っていて嫌いじゃなかったんですけどね。
ダービーは、アンディ・ロンソンとリー・アンダーソンの息子のズーマーが実際にはビルの息子であることを知ります。回想シーンとリンクするのが良いですね。これはわかりやすい例ですが、このドラマには細々と色んな伏線が張ってあるので、自分で気づけたときには気持ちが良い。
新本格ミステリー
ダービーは、地下の隠し部屋に通され、ロンソン一家が暮らしているところを目の当たりにします。これも館ものミステリーあるあるの展開です。特に、綾辻行人の「館シリーズ」にしばしば見られます。
こんなに新本格ミステリーのオマージュみたいな描写がたくさんある映像作品は、他にはあまりないと思います。少なくとも、ハリウッド作品では絶対にありません。なぜなら、新本格ミステリーは日本でのみ局所的に起こった推理小説のムーブメントだからです。
そもそも「本格ミステリー」とは、論理的な謎解きをメインとするミステリーのことを言います。ミステリーを、作中事件を介した作者と読者の知的な推理ゲームと捉えた作品とも言い換えられます。
本格ミステリーは、海外ではアガサ・クリスティーやエラリー・クイーン、日本では江戸川乱歩や横溝正史などが活躍した時代が黄金期と言われています。それからしばらく本格ミステリーの売れない時代が続いたのですが、1987年に綾辻行人が『十角館の殺人』が刊行されたことで、再び本格ミステリーのブームが始まります。この時代の作品を「新本格ミステリー」と呼びます。
新本格の傾向としては、従来の本格よりもさらに推理ゲーム的な要素を突き詰めているということができます。クローズドサークルや天才型の探偵など、いかにも王道のミステリーらしい要素がが意図的に使われることもよくあります。
代表的な作家としては、有栖川有栖、歌野晶午、京極夏彦、森博嗣、北村薫、西澤保彦などが挙げられます。新本格かどうかはともかく、少し時代が下った辻村深月や青崎有吾、今村昌弘なども明らかに本格推理作家です。一方、欧米では黄金期以降、本格ミステリーが再興することはありませんでした。
それなのに、ドラマ『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』は、明らかに本格ミステリーです。本格ミステリーの条件とは「結末の前までに読者/視聴者に十分な証拠が示されており、聡明な読者/視聴者であれば論理的に事件の真相を解明することができるもの」だと私は考えています。
最終話では、事件の関係者が地下室に一堂に集結して、謎解きが始まります。これも、いかにも本格ミステリーな演出です。焦点になるのは、ビルの殺人です。他の殺人や殺人未遂は、いずれもハッキングが絡んでいるので、誰でもできそうなことではあります。でも、ビルの殺人は、実際にその場に犯人がいないと実行することができません。
そのとき、地下室にズーマーが入ってきます。彼は、VRヘルメットを被ってゲームをしていました。これを見れば、もう真相はわかります。あああっ! そういうことか! やられたぁ~! 衝撃を受けました。
伏線の張り方も真相の明かし方も鮮やかです。証拠はきっちり示されていたので、本格ミステリーであることの条件はしっかり満たされています。AIやVRといった最新テクノロジーを利用したトリックですが、ドラマの中で十分説明されていたので、聡明な視聴者ならば理論的には真相に辿り着けるようになっています。
本格ミステリーの面白さとは、あてずっぽうに「こいつが犯人だ!」と言って、当たった/当たらないと一喜一憂するものではありません。このドラマでも、事件にAIのレイが何かしらの形で関わっているだろう、あるいは一番怪しくないからあいつが犯人だと気づいた視聴者がいるかもしれません。でも、真相は論理的に導かなければいけません。探偵があてずっぽうに犯人を名指ししたら困るではありませんか。
だから、本格ミステリーには読者/視聴者が探偵と同じ推理ができるような証拠が丁寧に示されているのです。通常、本格ミステリーが映像化に向かないと言われるのも、この性質ゆえです。本格ミステリーであるためには、証拠をすべて見せなければいけませんが、その場面は地味になりがちだからです。『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』は、地味になってしまうリスクを抱えてでも、本格ミステリーをやってくれたので私は賞賛します。
最終話
もう一つの主な伏線は、監視カメラに関するものでした。謎の白マスクの人物は犯人ではないことがわかったので、真犯人はドア周辺の壁が明るくなったときに出入りした人物だと断定することができます。
そのときの映像に犯人が映っていないのは、当初は犯人が監視カメラにハッキングして映像を加工したからだと思われていました。だったら、ただその瞬間を切り取ってしまえば良いではないかと思いましたが、それだとすぐに気づかれてしまうからやらなかったとダービーは説明しました。でも、明暗の変化だってすぐに気づかれたのですから、映像を加工した意味がなかったのではないかと私は引っ掛かっていました。
でも、真犯人を知れば納得です。映像は全く加工されていなかったのです。監視カメラに犯人が映らなかったのは、映像を加工したからではなく、カメラに映るほどの身長がなかったからでした。
せっかく良い伏線なのに、こういうところを、映像でさらーっと流してしまったのは、もったいないなと思いました。最終話があっさりしすぎているという感想をいくつか目にしましたが、それは事実です。事件の真相は十分に驚きと納得感のあるものでしたが、肝心の場面で名探偵としてのダービーの存在感が薄かったのが惜しい
ただ、私は事件の真相が良かったので、それで良しだと思っています。もっと派手な真犯人を期待していた人もいるのかもしれませんが、所詮、容疑者はあの人数に絞られているので「真犯人」に意外性をもたらすことはできません。その代わり「トリック」や「伏線」は驚くに値するものでした。
より問題なのは、その後の展開かもしれません。サーバールームが出てきて、そこに火を点けるというのは、そりゃそうするしかないのかもしれませんが、別に斬新でも派手でもありません。
このドラマは、情緒的な面は完全にダービーの過去パートに頼っていました。ダービーとビルの話は、とても感情に訴えるものがあります。一方で、現代パートは本格ミステリーに全振りしていました。ミステリーとしては面白くても、感情的に訴えるところは少なくなってしまいます。最終話は、過去パートが存在しなかったので、余計に味気なく感じました。
普通の本格ミステリーは、ミステリー的な面白さに全振りしているものが多いので、これでも『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』は十分にエモーショナルな物語になっています。一般的なドラマと比べればそうでもないですが、一般的な本格ミステリーと比べればそうなのです。
AIというテーマ
昨年からの生成AIブームによって、映像作品でもAIを扱ったものが増えています。それも、一昔前に描かれていた全能の最強AIではなく、ディープラーニングを背景にした数年以内に実現されそうなAIを描いた作品が増えています。『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』のレイもそうです。
この作品が最終話で訴えていたのは、端的にはAIに適切なセーフティガードを設けないと人間を傷つける可能性があるということです。でも、より根本的に訴えようとしていたのは、AIが子どもに与え得る悪影響なのではないかと思います。
ズーマーは、教師も遊び相手もレイで、同年代の人間と接する機会は非常に限られていました。アンディ・ロンソンは、AIは人間よりも遥かに優秀なのだからそれで良いと言いますが、そうではありません。ディープラーニングによるAIは人間の差別的な言動もすべて学習しているため、現に差別的な出力をすることがあることが実証されています。そのようなAIに子どもの学習をすべて任せるのは、非常に危険です。
正しい訴えだと思います。でも、最近では少なからず言われていることなので、目新しい主張ではありません。脚本を書いている段階では、まだ新鮮だったのかもしれませんが……。旬なトピックを扱いすぎて、作品としての賞味期限が短くなってしまっている気がします。
まとめ
私自身が海外ドラマオタクである以前に本格ミステリーオタクなので、記事が長くなってしまいました。しかも、ついこの前まで、AIが人間を操って殺人事件を起こすという本格ミステリーを書いてみたいとひそかに考えていたので、個人的にタイムリーな作品でした。私には、AIが人間を操る手法がどうしても思いつかなかったので、VRと純真無垢な子どもを使うというトリックには本当に感心しました。
ドラマ『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』が、一般的なドラマとして面白いのはもっぱら過去パートだと思います。美しくて切ない話です。主人公のキャラクターをよく表してもいます。
現代パートは、地味で話の進みが遅いです。それは事実ですが、スタイリッシュな映像センスはしばしば見られましたし、アイスランドにいても主人公はとても魅力的です。加えて、ハリウッド作品では稀に見る律儀な本格ミステリーであり、至る所に仕込まれた伏線に気づけば気づくほど面白くなってきます。新本格ミステリーの要素が多いのも、ファンならば楽しめるところです。
万人におすすめできるドラマではないかもしれません。でも、本格ミステリーのファンに何か一つアメリカドラマをおすすめするなら、これからは真っ先に本作の名前を挙げます。日本に本格ミステリーのファンは少なからずいるので、もしかしたらアメリカよりも日本でカルト的な評価を得る可能性すらあると私は考えています。
あとは、ダービー・ハートをもっと観たい。ミニシリーズなのでシーズン2はありませんが、ダービー・ハートを主人公にしたミステリーはまだまだ観てみたいです。ダービーこそ、待ち望んでいた新世代の名探偵なのですから。
↓ ちなみに、さっきの本格ミステリーのアイデアは完成しませんでしたが、その代わりに全く別のアイデアを基にして短編推理小説を書いて新人賞に応募しています。