あのニュージャージーのマフィアたちが帰ってきた!ドラマ史に残る名作『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』の前日譚『ソプラノズ ニューアークに舞い降りたマフィアたち』が、ついに日本でも観られるようになりました。世界で最も有名なマフィア「トニー・ソプラノ」背景がついに明かされます。今回は、映画『ソプラノズ』の登場人物、ドラマとの関連、そしてネタバレ感想などを語っていきます。
⇩ドラマ『ザ・ソプラノズ』の紹介はこちらで。
なぜ『ザ・ソプラノズ』は21世紀の最も偉大なテレビドラマなのか? - 海外ドラマパンチ
映画『ソプラノズ』基本データ
- 原題:The Many Saints of Newark
- 公開日:2021年10月1日(アメリカ)、日本では劇場未公開
- 上映時間:120分
- 監督:アラン・テイラー
- 脚本:デヴィッド・チェース(ドラマ『ザ・ソプラノズ』クリエイター)
- あらすじ:マフィアのクルーのディッキー・モルティサンティは、父親や愛人との関係、甥のトニー・ソプラノとの関係に苦労する。
- 予告編:
※Many Saints とは、イタリア語のモルティサンティMoltisantiを英語に直したもの。「数多くの聖人たち」という意味になります。
登場人物
モルティサンティ家
ディッキー(アレッサンドロ・ニヴォラ):トニーの伯父、映画の主人公
ジョアン:ディッキーの妻
クリス:ディッキーの息子、まだ赤ん坊
ジュゼッピーナ(ミケーラ・デ・ロッシ):ディッキーの愛人
ハリウッド・ディック(レイ・リオッタ):ディッキーの父
サリー(レイ・リオッタ):ハリウッド・ディックの双子、服役中
ソプラノ家
トニー(マイケル・ガンドルフィーニ):ドラマの主人公、まだ高校生
ジョニー・ボーイ(ジョン・バーンサル):トニーの父
リヴィア(ヴェラ・ファーミガ):トニーの母
ジャニス:トニーの姉
コラド”ジュニア”(コリー・ストール):トニーの実の伯父
その他のマフィア
ハロルド・マクブレイヤー(レスリー・オドム・Jr):黒人ギャング
ポーリー・ウォルナッツ(ビリー・マグヌッセン):マフィアのクルー
シルヴィオ・ダンテ(ジョン・マガロ):マフィアのクルー
ビッグ・プッシー:マフィアのクルー
ドラマ『ザ・ソプラノズ』とは、どんな作品なのか?映画の背景になっているニューアーク暴動とは何か?については、すべて以下の記事にまとめてあります。
ドラマ『ザ・ソプラノズ』との関連(ネタバレ)
ドラマの前日譚なので、映画『ソプラノズ』とドラマ『ザ・ソプラノズ』との関連は山ほどあるのですが、その中でも主要なものを3つだけ書いておきます。
クリス・モルティサンティ
映画の冒頭などでナレーターをしているのは、ドラマのときと同じくマイケル・インペリオリが演じるクリス・モルティサンティです。クリスは、ディッキー・モルティサンティの息子で、映画の中ではまだ赤ん坊でした。ドラマでは、組織の若いメンバーであり、トニーの親戚であるという立場から、重要な役割を果たしています。
映画冒頭のナレーションで、ファイナルシーズンのネタバレをがっつりしていたのは、ちょっと驚きました。でも、たぶんドラマ版を観たことがない人には何を言っているのかよくわからなかったと思うので、ここでは説明しません。とりあえず一旦忘れてぜひドラマの方を観てください。
⇩シーズン6のネタバレ感想はこちら
ドラマ『ザ・ソプラノズ』シーズン6感想~マフィアの人生、家族の人生~ - 海外ドラマパンチ
遊園地での逮捕
映画中盤では、ディッキーやジョニー(トニーの父親)らは遊園地で逮捕されます。これと全く同じ場面は、ドラマのシーズン1第7話の回想シーンでも描かれていました。ジョニーは、娘のジャニスだけを遊園地に連れていったので、トニーは気づかれないように勝手についていって覗いていました。そこで、父親らが逮捕される場面を目撃しています。
ディッキーの最期
ディッキーの最期は、映画の中で描かれていた通りです。ジュニアが雇った殺し屋によって暗殺されました。原因は、おそらく組織内の跡継ぎ争いのためでしょうか。
なお、ドラマの中では、ディッキーの最期に関して異なることが言われています。シーズン4第1話で、トニーはクリスに対して「ディッキーを殺したのは、警官のバリー・ハイドゥだ」と言っています。その後、クリスは復讐として、ハイドゥを殺しました。しかし、殺しの直前になっても、ハイドゥはディッキーを殺したことを必死に否定していました。
ということは、ドラマの中でトニーが語っていたことは嘘だったのでしょう。トニーは、その後のドクター・メルフィーとの面談で「クリスとの結びつきを強めることができた」とも語っています。トニーは、警官のハイドゥがディッキー殺しの犯人ではないと知りながら、クリスに復讐を勧めたのだと思われます。
感想
『ザ・ソプラノズ』というドラマは、マフィアものの中でも、かなりユニークな作品だと思っています。マフィアものであるにも関わらず、組織間の抗争はメインではなく、むしろ家族や人間の物語に着目したものになっています。主人公の家族の日常や、子供の学校の話が頻繁に出てくるのは、他のマフィアものではあまり見られません。
マフィアにとって、他の組織との抗争や組織内のいざこざは、仕事の一環です。家に帰れば、他のサラリーマンと同様に、子供たちと学校の話をして、妻と夫婦喧嘩をします。不倫をしがちなところはありますが、マフィアだけが不倫をするわけでもありません。不倫をするサラリーマンだっています。もちろん、日常の中でマフィアらしいところが出てくることがあり、それが面白いところでもあります。
今回の映画版でも、その『ザ・ソプラノズ』の持ち味は生かされています。主人公ディッキーと父親の関係、愛人との関係、トニーとの関係がメインになっています。黒人ギャングのハロルドとの対決もありますが、それが映画全体の軸になっているわけではありません。
映画は、ディッキーにまつわるエピソードを断片的に集めて、ディッキーの生き方を描くようなものになっています。ディッキーは、あまり「オォォーーゥ!」とか言わないので、マフィアにしては冷静なタイプかと思っていました。でも、勢いで父親を殺してしまうあたり、ときには激情的になるようです。
ディッキーは、トニーにとっては、実質的な父親のような存在でした。トニーが学生の頃、父親のジョニーは服役中であり、母親のリヴィアはトニーにかなり厳しく当たるので、自然とそうなったのでしょう。ディッキーが直接トニーにマフィアのことを教え込んだわけではありませんが、ディッキーの生き方を見て、いわば背中を見て育ちました。
トニーは、学生時代からトラブルばかりを起こしています。賭け事を取り仕切ったり、テストの答案を盗んだり。学校の成績は決して良くはないのですが、先生によると実は頭が良いと言います。このときに、学校で受けたIQテストのことにさらっと触れていますが、これはシーズン5第13話の会話でも出てきています。トニーは自分のIQが136だったと言っているのですが、その根拠となるのがこのときのテストでした。
トニーの地頭の良さと、ディッキーの生き方が、後のマフィアのボスとしてのトニー・ソプラノを形作っていたのです。
仮説―これは誰の映画なのか?―
映画『ソプラノズ』で描かれる話は、断片的で、詳細が省かれているような節があります。ディッキーとハロルドの対決の背景などは、あっさりした描かれ方をされているように見えます。
また、映画の主人公はディッキーであるにも関わらず、多くの場面でトニーが登場しています。ディッキーが父親を殺した場面ですら、トニーは登場しています。遊園地のシーンは、ドラマで描かれたときとよく似ています。ただし、ドラマのときは、トニーが語った回想の中でのシーンでした。
ということは、今回の映画の話も、トニーの回想なのかもしれません。あくまでも、トニーが知っている限りの話でしかないので、断片的になっているのです。また、トニーの視点から語られるため、そのエピソードの中には、トニー自身が多く登場しています。
しかし、トニーの回想だとするならば、ナレーターもトニーが務めるはずです。現実では、トニーを演じたジェームズ・ガンドルフィーニが亡くなってしまったので不可能なのですが、一旦それは置いておくとして。実際にナレーターを務めたのは、クリス・モルティサンティです。
ならば、これはクリスの回想なのでしょうか。でも、ディッキーが死んだのはクリスがまだ赤ん坊の頃なので、クリスがこれらの話を直接知っていたわけはありません。おそらく、トニーから伝え聞いた話なのでしょう。
とはいえ、映画の内容にはトニーが知り得ない部分もいくつかあります。それらは、クリスが想像を膨らませた部分なのではないでしょうか。なぜ、クリスは想像を広げたのか? それは、映画の脚本を書くためです。
ドラマの中で、クリスが映画の脚本を書いている場面は、何度もありました。その脚本の内容が、マフィアに関するものであることも言われていました。シーズン6では、『クリッター』というタイトルのホラー映画として完成されていましたが、それ以外の映画の脚本を書いていたとしても、何の不思議もありません。マフィアだった父親の話を書くのも、いたって自然です。
すなわち、今回の映画『ソプラノズ』は、トニーから伝え聞いた話をもとに、クリスが書いた脚本を映画化したものではないか、ということです。より正確には、そのような裏設定の上で作られた映画なのではないか、ということです。あくまでも、これは個人的な仮説にすぎませんが、妥当なように思えませんか?
総評—ドラマの劇場版の域—
ドラマ『ザ・ソプラノズ』を観たことがあれば、映画『ソプラノズ』は十二分に面白い作品になっています。トニーの背景について知ることができ、お馴染みのキャラクターに再会することができます。
いずれの俳優もドラマのときと異なるのですが、見事に昔のキャラクターを思い起こさせます。特に、シルヴィオ、ポーリー、リヴィアは面白かった。いずれも個性的なキャラクターなのですが、話し方や言葉遣いに、彼らの特徴が再現されています。
しかし、ドラマを観たことがない場合、すなわちこれを独立した1本の映画として観るならば、あまり上手くないと感じるかもしれません。一貫したストーリーがなく、登場人物の関係の説明も不十分なので、何をしているのかすら理解しにくい可能性があります。
それらは、ドラマのときの『ザ・ソプラノズ』を映画化するならば、そうなってしまうだろうなと思うところではあります。『ザ・ソプラノズ』は、マフィアの日常を描きながら、その人生を露わにしていくので、ドラマくらいの長尺が必要です。2時間しかないのなら、単純に組織間の抗争に焦点を当てた方が、初見の観客を楽しませるためには良かったかもしれません。
しかし、ドラマおよび映画版の脚本を書いたデヴィッド・チェースはそうはしませんでした。一つには、そもそも『ザ・ソプラノズ』はアメリカでは大人気のドラマなので、ドラマ未見の人を対象にする必要がないというのがあります。「トニー・ソプラノ」は、今ではマフィアの代名詞になっており、その名前を知らない人はいません。
であるならば、ドラマの前日譚として、他のマフィア映画ではできないことをやるべきでしょう。映画『ソプラノズ』がドラマの劇場版の域を出ていないところはありますが、わざわざドラマの劇場版の域を出る必要があるのでしょうか?
「ドラマの劇場版の域」は、テレビドラマが映画に対して完成度が劣っているような印象を与えます。しかし、ドラマ『ザ・ソプラノズ』が、数多くの映画よりも遥かによく出来た作品であることは誰もが認めるところです。その場合「ドラマの劇場版の域」のレベルは非常に高く、その域にあっても十分に優れた作品であって良いわけです。『ブレイキング・バッド』に対する『エル・カミーノ』と同様です。
確かに、映画『ソプラノズ』は、前日譚とは言ってもドラマの延長線上にあり、紛れもなくドラマの劇場版の域にあります。しかし、だからこそ他の映画では観られないマフィアの日常を描いたユニークな作品になっています。ドラマ『ザ・ソプラノズ』を映画化するならこれ以外の形は考えにくいし、その点で映画『ソプラノズ』は巧みな作品です。