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傑作ドラマの終わり方:『ブレイキング・バッド』『ゲーム・オブ・スローンズ』『デクスター』

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These violent delights have violent ends.

- William Shakespeare, Romeo and Juliet

 

※この記事は海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』『ブレイキング・バッド』『デクスター』のネタバレを含みます。

 

 最近、海外ドラマの終わり方について考えることがあります。一昔前の海外ドラマといえば、グダグダとシーズンを重ねて、結局打ち切りで終わってしまうようなものが多かった印象があるのですが、最近の海外ドラマに関してはそうではありません。しっかり描くべきことを描き切った上で、面白さを保ったまま最終シーズンを迎えるものが多くなっています。

 

 しかし、なぜか最終シーズンで迷走してしまうドラマもあります。前シーズンまではとても面白かったのに、最終シーズンと最終話だけは、なぜかスッキリしないのです。今回は、傑作ドラマなのに最終話だけモヤモヤしてしまう例として『デクスター』『ゲーム・オブ・スローンズ』、最終話までキッチリ面白い例として『ブレイキング・バッド』を挙げて、考えていきます。

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 なお、以下は『デクスター』『ゲーム・オブ・スローンズ』『ブレイキング・バッド』全シーズンのネタバレを含みます。全部です。お気を付けください。

 

 

 

理解不能な行動

 最終回でドラマがめちゃくちゃにされるとき、その原因は大抵、主人公の理解不能な行動にあります。何シーズンもドラマを観てきた視聴者ならば、主人公のことをよく知っています。よく出来ているドラマは、主人公の心理を丁寧に描いているものなので、なおさらその傾向は強くなります。

 

 それなのに、制作陣が主人公の心理を取り違えて、妙な行動を取らせてしまうと、批判を受けるのは避けられません。最終回なので、何かしらの驚きを用意しようとするのですが、それが裏目に出てしまうのです。最も上手いのは、視聴者に驚きを与えながらも、それが主人公の心理状況からすれば妥当な行動だったと思わせることです。難しいんですけどね。

 

 『ゲーム・オブ・スローンズ』で理解不能な行動を取ってしまったのは、デナーリス・ターガリエンです。彼女は、独自の信念でもって、世界に新たな秩序を取り戻そうとしていました。ときには荒っぽい手段に出ることもありましたが、それらは全て虐げられてきた庶民を救うためでした。

 

 しかし、ダニーは最終章第5話において驚愕の行動に出ます。腹心の部下であり友人のミッサンディを殺されたことで、頭の中の何かがプツッと切れてしまったようで、いきなり王都の人々を焼き尽くし始めます。サーセイだけ殺せば良いじゃん!というのが、まず率直に思ったこと。

 

 それでも、もう少しダニーの心理について考えなければいけません。ただの八つ当たりで、庶民が殺されまくっては困りますから。う~ん???分からないぞ。最終章では、ダニーの心理描写はほとんどないので、ヒントも何もないのです。後付けで色々なことを考えている人もいると思いますが、これだ!というのは出てきていません。

 

 デクスター・モーガンの最後の行動も謎です。デボラを撃った奴を殺したのは良いでしょう。当然の行動と言えます。その後です。まず、デボラを殺します。安楽死ですが、確かにデクスターが手を下しています。これに関しては、シーズン3第7話に伏線がとなる会話があるので、大目に見ておきましょう。

 

 デクスターの謎行動は、さらに続きます。自分の死を偽装して、雲隠れしてしまうのです。息子のハリソンと、一生一緒にいたいと思ったハンナ・マッケイをほったらかしにして。え、何がしたいの?

 

 この行動の理由は、デクスターが自分で述べています。自分は危険な殺人鬼であり、自分の周りにいる人は全員不幸に遭ってしまうので、息子やハンナのためを思って避けるべきだと。でも、結局はただ逃げただけです。結婚している夫婦に例えるならば、デクスターは自由という愛人に向かって家出する夫です。自分勝手なんですよ。

 

 それに対して、ウォルター・ホワイトは、最終シーズンで驚きの行動も見せながらも、最終的にはすべての行動にきちんと心理的な説明が付けられています。ウォルターの行動として矛盾がありません。詳しくは、この後に述べます。

 

悪人は報いを受けるべきか

 『ブレイキング・バッド』と他の2本の決定的な違いは、最終的に主人公格の悪人が、それまでの行動の報いを受けるか否かにあります。

 

 『ゲーム・オブ・スローンズ』では、サーセイは全シーズンを通して悪を貫き通しています。このドラマは、ラムジーやジョフリーのように、悪人はそれに見合った盛大な死に方をします。それが気持ちよいところでもあるので、サーセイに関しても、最後にはとてつもなく大きな報いを受けることになると期待していました。

 

 しかし、実際にはサーセイは愛する兄のジェイミーとともに、岩に押しつぶされて死にました。これでは報いを受けたのではなく、半ば事故死しただけです。しかも、ジェイミーと。この展開には、どうしても拍子抜けしてしまいます。

 

 『デクスター』に関しても、同様のことが言えます。それまでのシーズンでは、殺されるべき残虐な連続殺人鬼たちは、ことごとくデクスターに切り刻まれてきました。それならば、殺人鬼であるデクスターに関しても、同じように殺される、あるいは刑務所に入るなどの報いを受けるべきなのではないでしょうか。デクスター自身が、そのことを悟っている節もあったので。

 

 それなのに!デクスターは、何の罰を受けることなく、逃げてしまうのです。息子のハリソンを置いて。ただの悪人どころか、人間としてクズになってしまいました。

 

 一方の『ブレイキング・バッド』は、この点において真逆の結末を迎えます。悪の限りを尽くしたウォルター・ホワイトは、自分の娘を誘拐して逃げ出したかと思いきや、そこまでの全ての罪を自分で被る発言をします。それから一時的に姿を消すのですが、その後に家族やジェシーのこと全てに決着を付けます。

 

 全ての罪を自分で被り、家族のために十分な資産を残しているので、部分的には贖罪をしています。しかし、それで罪が全て洗われるわけではなく、息子からは最後まで嫌われたままでした。ウォルターは生きていて出来る限りの贖罪をした上で、最期を迎えたのです

 

 このエンディングが潔いのは、ウォルターが自分は悪人だと自覚し、その報いを受けている点にあります。本当の悪人は、自らを悪人だと言わないし、その報いを自ら受けようなどとは思いません。逆説的に、ウォルターは完全なる悪人ではなかったことを示したわけです。完全なる悪人ではなかったとしても、多くの悪行をしてきたことは事実なので、その報いは受けなければいけませんし、確かに報いを受けています。

 

 サーセイは、自分が悪人だと思っているのかはよく分からないのですが、報いはほとんど受けていません。息子と娘の死が報いの前借りみたいなものかもしれませんが、釣り合ってはいないですよね。

 

 デクスターに関しては、自分で逃げてしまったので、ただの悪人です。自分の罪も認めず、それを償うための行動は何一つしていません。シーズン1以前のデクスターであれば、その行動は理解できなくもありません。しかし、様々な人との出会いを通して人間性を獲得したデクスターの行動としては、やっぱりモヤモヤしてしまいます。

 

補足

 せっかくネタバレ全開で書いているので、おまけでもう一つ言いたいことを言います。『ブレイキング・バッド』と『デクスター』は、いくつか共通点があります。主人公が一般生活を送る傍らで、とんでもない悪事をしていることとか、妻との関係とか。しかし、物語の方向性としては真逆なんです。

 

 『ブレイキング・バッド』は、普通のおじさんが、どんどん悪の道を突き進んでいきます。そのため、ウォルターの表向きの生活は、どんどん見せかけのものになっていきます。それでも、エンディングでは元のウォルターの姿を見せたりもしています。

 

 一方のデクスターは、最初が悪人です。悪人というかサイコパスか。そこから、妻のとなるリタとの出会いなどを通し、人間性を獲得しています。デクスターにとって隠れ蓑に過ぎなかった普通の生活が、本当の生活になっていくわけです。

 

 そのデクスターも、最終回では最初の姿に戻ってしまったとも言えます。元のサイコパスのデクスターです。そのため、『ブレイキング・バッド』も『デクスター』も、最終的に主人公が元の姿を取り戻すという構造は似ています。ただ、『デクスター』でそれをやっても良いかというと、ダメでした。結局、デクスターはサイコパスに過ぎませんでしたと言われては、観ているこちらも悲しくなってしまいます。

 

まとめ

 一気に殴り書きをしました。ここまで横断的にネタバレすることもないので、個人的にはスッキリしています。まとめとしては、まず最終回では主人公に理解可能な行動をさせよう。驚きを与えたいなら、それに見合った心理描写をしなければいけない。心理描写のない驚きは、ただのビックリ箱だし、主人公のキャラクターを破壊しかねません。

 

 もう一つが、善悪の狭間にいる主人公ならば、何かしらの決着を付けよう。悪人ならば、何かしら償うべきことがあるはずです。悪人が、ただ悪人のまま終わってしまっては、モヤモヤしてしまいます。例え償いきれないとしても、そのようにハッキリ描くべきです。償いも何もせず、悪の限りを尽くしたままではいけません。

 

 今回は良いエンディングの例として『ブレイキング・バッド』を挙げましたが、個人的にはもっと好きなエンディングがいくつかあるんですよね。ただ、『ゲーム・オブ・スローンズ』や『デクスター』と比較するなら、『ブレイキング・バッド』しかないかなと思ったわけで。

 

 一話完結ドラマのエンディングは、意外と良かったりするんです。『バーン・ノーティス』とか『名探偵モンク』の最終回は、凄く好き。きちんと決着を付けてくれる感じがあって。あとは、『THE WIRE/ザ・ワイヤー』のエンディングも実に秀逸で、素晴らしいです。

 

 ただ、最終回に関しては絶対に揺るがないベストがありまして。それは、『シックス・フィート・アンダー』です。この最終回は、とんでもなく素晴らしいので、最終回を観るためだけでも全部観てほしいほどです。(『デクスター』主演のマイケル・C・ホールは、『シックス・フィート・アンダー』でもメインキャラを演じているというお得情報)

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